アルジェリアの国旗の画像イラストや意味、特徴、由来、誕生年

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アルジェリアの国旗や由来意味、特徴、国旗の成り立ち・豆知識、アルジェリア国旗イラスト素材などを解説いたします。

アルジェリアの国旗

国名の正式名称

アルジェリア民主人民共和国

アルジェリアを表す漢字一文字

誕生年

1962年

国旗の色の意味

サハラ砂漠包含する世界規模でも特に乾いている国のアルジェリアは、イスラムの影響を如実にうけている国旗となっております。何といっても三日月と星のマークがイスラムの象徴であるという部分が大きいですし、白と緑という色づかいはなによりもイスラムカラーであります。世界の子奇異でも良く使われる白の意味としてアルジェリアも同じく白は平和と共に、いかに純白で、潔白であるかを表しております。緑は産出豊かな大地の象徴という意味になっております。元来アルジェリアのこの国旗は独立運動を起こしていた反乱軍の象徴とも言えるものとされておりますが、その思いが三日月と星の赤色に表れています。つまりのところは、先人たちの流した血の象徴ということになります。この色の組み合わせとデザインがなかなかのインパクトを放っています。緻密で繊細とされているアルジェリアの国民性だからなのでしょうか、白と緑のラインはぴったり真ん中で区切られており、色についても厳密な規則があるとされております。アフリカであって、アラブやヨーロッパの色合いも強い稀有な国家環境が独自の風合いを放つ要因となっていると考えられます。

国旗の特徴

アルジェリアはアフリカ北部位置する広い国土の国で、その国土の大部分を砂漠が占め、乾燥した平原地帯となっています。北部には2000m級のアトラス山脈があり、地中海の沿岸部では雨量も多く草原なども広がっています。産業に目を移すと天然ガスの産出量が多く、この国の鉱業を支えています。 アルジェリアの国旗の特徴といえば、緑と白で2分割された上に月と星がデザインされている型にはまった印象の無い雰囲気があります。この国旗は1962年の7月3日に定められました。 現在の国旗の原型は、1920年代の独立抵抗運動の中で生まれたという説になっています。1954年から激しい独立闘争を率いたFLN(アルジェリア民族解放戦線)は、現在の国旗とよく似た旗を使っていました。そして、独立のときに細部までデザインを規定して国旗として掲げました。 そんな現在の国旗が誕生するまでの混沌とした歴史は、16世紀からはじまります。東からはオスマン帝国の、西からはスペインの進出が進んでいきます。度重なる領土争いを経て、1830年にはフランスが進出し、アルジェを占領します。フランスによる征服に対してアブド・アルカーディルが激しく抵抗しましたが、1847年にフランスはアルジェリア全土を支配しました。 1916年にトゥアレグ族の貴族が、トゥアレグ族居住地域内のアガデスで反乱を起こすと、フランス軍は鎮圧を試みますが、第一次世界大戦が終わると独立運動が激化し始めました。 第二次世界大戦のさなかである1942年、トーチ作戦がなされた後は反ヴィシー政権の拠点となり、アルジェではフランス共和国臨時政府が結成されました。第二次世界大戦が終結すると独立運動が再び激化し始めます。 1954年には民族解放戦線が組織され同年11月1日に反乱を開始、アルジェリア戦争が勃発しました。100万人に及ぶ死者を出すなど戦争は激化しますが、フランスのドゴール大統領は民族解放戦線に和平交渉を呼びかけ、1962年3月、エビアン協定を締結。 アルジェリアの独立が承認され、同年7月5日にアルジェリア民主人民共和国として独立を達成しました。

アルジェリアの地図

国旗の色(色番号)

#cecece #ea0706 #60a47c #4c9c6c

アルジェリア国旗の意味や由来

アルジェリア国旗の意味や由来、フリーイラスト、画像をまとめました。

アルジェリア国旗の由来

緑と白で2分割された上に月と星がデザインされている型にはまった印象の無い雰囲気があります。この国旗は1962年の7月3日に定められました。
現在の国旗の原型は、1920年代の独立抵抗運動の中で生まれたという説になっています。1954年から激しい独立闘争を率いたFLN(アルジェリア民族解放戦線)は、現在の国旗とよく似た旗を使っていました。

アルジェリア国旗に似てる国旗

緑が基調となり、月と星・・・という点でモーリタニアの国旗はアルジェリア国旗と似ているといわれております。モーリタニアという国は、アフリカ北西部に位置していてアルジェリアのお隣の国です。お隣さんです。アルジェリア同様に国土の4分の3が砂漠という砂漠の国でもあります。太陽の動きとともに姿を変えていくモーリタニアの砂丘の美しさは世界でも指折りと言われています。一見の価値ありです。
そんなモーリタニアの国旗のデザインは、緑は未来への明るい希望と砂漠地帯の緑化の願いが込められているとも言われており、黄色はサハラ砂漠を表しています。緑と新月と星はいずれもイスラム教のシンボルで、イスラム教が国教であることを表しています。
この国は1960年にフランスから独立を果たしましたが、その1年前の1959年に現在の国旗が制定されました。

アルジェリアが誕生した背景

第2次世界大戦後、民族自決の潮流の下、ヨーロッパ諸国の植民地であったインドやパキスタン、ビルマやインドネシアなど、アジア諸国が独立を果たしていました。更にフランスの支配下にあったラオスやカンボジアも独立を果たしました。1946年から独立を巡ってフランスとの間で戦われた第1次インドシナ戦争も、54年のジュネーヴ協定により休戦となり、ベトナムが独立を果た巣ことになりました。このアジアの独立の波に勇気づけられる形で、アルジェリアでも独立への要求が高まり始めてたとされています。  

1954年3月に、アルジェリアの独立を望む人たちで、統一と行動のための革命委員会(Comité révolutionnaire d’unité et d’action:CRUA)が結成されました。この幹部には、独立に貢献することになる重要な人物が含まれており、後のアルジェリア大統領であるベン・ベラも一員でした。  
ちょうどその頃に、フランスは第1次インドシナ戦争でフランスの撤退を余儀なくされており、ディエンビエンフーの戦いの真っただ中でありました。同年5月に決定的な敗北を味わったフランスは、ピエール・マンデスフランスを新しく首相に迎えることになります。インドシナ戦争終結に向けて動きだしたマンデスフランスは、7月21日、スイスのジュネーブで和平協定を成立させた。また、チュニジアとモロッコの紛争の解決にも取り掛かり、チュニジアに内政の自治を約束したのに続き、モロッコにも国内自治を付与するなど、植民地との話し合いに応じていくことになります。
その後、アルジェリアは1830年にフランスの支配下となりました。フランスはアルジェリアを西からオラン県・アルジェ県・コンスタンティーヌ県の3つに分け、直轄県を置き、フランス本国の延長として内務省の管轄に組み込み、本国の一部としていました。そのためフランス本国の県と同様に、本国議会に議員を選出する権利を有していました。アルジェリアとフランス本国との経済的・軍事的結び付きは極めて強いものでした。コロンと呼ばれるフランス系の移民も多く、他の植民地とは異なり、膨大な規模の白人社会が確立していました。彼らはアルジェリアが独立することで自分たちの地位が危うくなることを恐れ、独立には反対であったとされています。そのためアルジェリアの独立を、フランス政府は簡単に認めるわけにはいかなかったということになっております。
このように、フランスとアルジェリアには深い因果があるとされています。

仲の悪い国・仲のいい国(紛争中など)

オスマン帝国に支配下になっており、フランスの植民地であったという過去があります。
1991年から2002までは内戦も起きています。
特にフランスとは深い因果関係があります、かつてはフランスの植民地でありましたが、アルジェリア戦争で独立を勝ち得ました。
独立戦争では資本主義陣営はフランスを、共産主義陣営がアルジェリア民族解放戦線(FLN)をそれぞれ支援しました。日本国は介入しませんでしたが、当時の全学連(新左翼、学生運動団体)が民族解放戦線を支援していました。そのため、独立戦争終了後は日本との交流も盛んで、現在も良好とされています。
独立戦争後はFLN一党独裁の社会主義政策をとりますが、徐々に経済危機が進行いくこととなります。1989年に憲法の改正して、複数政党を認めました。1991年、普通選挙が実施されイスラーム原理主義政党、イスラム救国戦線(FIS)が圧勝します。しかし、その翌年の1992年、軍事クーデターが発生し、世俗主義を目指す軍に実権が移行となります。1991年から2002年まで軍・イスラム原理主義組織 間で内戦も発生しました。現在でも、イスラーム・マグリブ諸国のアル=カーイダ機構(AQIM)がテロを繰り広げています。
1998年よりイスラーム・マグリブ諸国のアル=カーイダ機構(AQIM)の国内テロが多発し、2014年の人質事件ではトゥアレグ族の民族解放戦線がアルカイダと手を組み、2013年以降はISILへの参加者が絶えないという現状があります。そのため、テロ国家という負のイメージもあという不名誉さもぬぐえません。現大統領はそれを払拭するべく外交活動を展開し、一定の改善は得られています。

アルジェリアの特色・人種構成

特色:北を地中海、西にモロッコ、東にチュニジアとリビア、南はモーリタニア、マリ、ニジェールと接する。
北部を除き、国土のほとんどが砂漠気候。首都アルジェは国の北端に近い場所に位置し、地中海気候である。

人種構成:人種構成は、80%をアラブ人が占めます。次に19%のベルベル人で、かつてはフランス人も80万人居住していましたが、独立戦争後は大半がフランス本国へ移住しました。
公用語はアラビア語で、先住民ベルベル人の言語である、ベルベル語は2002年に国民語に指定されました。公的地位は獲得したものの、公用語には至っておりません。

アルジェリアの国旗の歴史

  • アルジェリアの国旗の始まり
    1962
    アルジェリアは初代の国旗が現在の国旗ということになっています。
    つまり、歴史として1種類のみの国旗の存在ということになります。
  • 初代である現在の国旗へ
    1962年
    アルジェリアは地中海に面した北アフリカのマグリブ地方から内陸のサハラ砂漠にかけての広大な地域。ローマ帝国・ビザンツ帝国の支配下に入った後、7世紀にイスラーム圏となる。
    15世紀からはオスマン帝国領となった。1830年にフランス植民地となり、第二次世界大戦後の1962年に独立しました。
    アルジェリアはアフリカ北岸、地中海に面したマグリブ地方の、西のモロッコと東のチュニジアにはさまれた地方です。
    他のマグリブ地方と同じようにベルベル人の居住地でありましが、海岸部にフェニキア人の植民市が建設された。カルタゴの支配を受けた後、
    ヌミディア王国はローマの保護国となったがユグルタ戦争で滅ぼされ、属州アフリカに編入されました。
    その後、ビザンツ帝国領を経て、7世紀にイスラーム勢力に征服されました。
    その後1830年にフランスの侵略を受け、植民地される。フランス人入植者の支配が続いたが、第二次世界大戦後に激しい独立運動が始まります。
    1830年、フランス復古王政のシャルル10世はアルジェリア出兵を強行、占領しました。
    フランス国内ではまもなく七月革命が勃発し、七月王制が成立したが、新政府もアルジェリアから撤退せず植民地支配を継続しました。
    1832年、フランスの植民地支配に立ち上がったのが、アラブ人首長アブド=アルカーディルであったとされています。
    アブド=アルカーディルは粘り強く戦いましたが、1847年についに捕らえられ、晩年はフランスに協力的となったため、
    アルジェリアの抵抗運動は衰えました。
    フランス人入植者 アルジェリアは地中海を挟んだフランスの対岸に位置し、多くのフランス人が入植者として移住し、現地のアラブ人やベルベル人を
    低賃金で雇い、大農園などを経営し、コロンといわれたその子孫たちは富裕層を形成しました。
    首都アルジェの中心部はフランス人居住区でパリ風の高級店舗が並び、郊外には「カスバ」といわれる貧民窟が広がるという格差が大きくなっていきました。
    その後、第二次世界大戦後の1948年、ベン・ベラを指導者として民族解放戦線(FLN)が結成され、1954年に武装蜂起し、
    アルジェリア戦争が始まりました。フランス人入植者は「フランス人のアルジェリア」と唱えて、当局もアラブ人の独立運動を厳しく弾圧し、
    双方のテロが繰り返されました。そのあたりのテロの応酬は映画『アルジェの戦い』でドキュメンタリ・タッチで描かれています。

    フランス政府がアルジェリア問題に苦慮して次第に独立承認に傾くと、現地のフランス人入植者は強く反発、
    1958年5月には現地フランス軍が反乱を起こしました。現地反乱軍をコントロールできなくなったフランスの第四共和政政府が倒れると、
    植民地支配の危機を救う人物として第二次世界大戦の救国の英雄ド・ゴールが国民の輿望を担って復活しすることとなりました。
    しかしド・ゴールは大統領に当選し強力な権限を与えられると一転して態度を変え、「アルジェリア人のアルジェリア」を実現させる方向をとりました。
    ド・ゴールは現地軍の反乱を抑え、1960年にはアルジェリアの独立の可否を国民投票にかけ、賛成多数の支持を受けて解放戦線(FLN)との交渉を開始し、62年7月エヴィアン協定を締結、独立戦争の和平を実現させた。協定に基づいてアルジェリアで住民投票が行われ、独立賛成が圧勝して、同年アルジェリア民主人民共和国が成立した。
     1960年にド・ゴールがアルジェリアの独立を容認することに転じたことは、多のアフリカの民族独立運動に大きな影響を与え、
    一気に独立の気運が高まり、イギリスなどもそれに押される形で次々とアフリカ諸国の独立が実現し、アフリカの年と言われることとなります。

    そういった時代を経て、アルジェリアは独立し、現在の国旗が制定されました。

アルジェリアの国旗

アルジェリア国旗のイラスト(フリー・商用利用可能)

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