エジプトの国旗の画像イラストや意味、特徴、由来、誕生年

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エジプトの国旗や由来意味、特徴、国旗の成り立ち・豆知識、エジプト国旗イラスト素材などを解説いたします。

エジプトの国旗

国名の正式名称

エジプト・アラブ共和国

エジプトを表す漢字一文字

誕生年

1922年

国旗の色の意味

現在の国旗の赤い色は、青年将校たちが、クーデターでエジプト王を追放し王政をたおした1952年のエジプト革命以前の時代を表しています。この時代はイギリスの支配などとの戦いの時代ともされています。 白色は、1952年のエジプトで王の専制を無血で打倒した革命の到来を表しています。 黒色はイギリスの植民地支配と専制君主の下にあったエジプト人民の抑圧の終わりを示しています。

国旗の特徴

国旗の特徴としては、赤・白・黒の横三色の三色旗の中央に金色のサラディンの鷲を描いたデザインです。このサラディンの鷲は、1952年のクーデター後の政権時代から国旗に使用されています。 サラディンの鷲は、12世紀のアイユーブ朝初代スルタンで聖地イェルサレムを十字軍から奪還した英雄サラディンの象徴として黄色い鷲が描かれています。そしてエジプトの革命旗・アラブ解放旗の赤・白・黒の三色旗と併用して描かれています。 この赤・白・黒の三色旗は、第1次世界大戦時のオスマン帝国に対するアラブ反乱で使用されていた反乱旗と同じ色であり、この三色はアラブでよく使われることから汎アラブ色と呼ばれています。

エジプトの地図

国旗の色(色番号)

#d4c9c0 #c80b21 #fccc0f #cc1424

エジプト国旗の意味や由来

エジプト国旗の意味や由来、フリーイラスト、画像をまとめました。

エジプト国旗の由来

オスマン帝国時代の旗は、初めの1517年は中央に3個の黄色い三日月を配した赤旗でした。そのご1793年にデザインが変更されて白い八角星と三日月を配したデザインになりました。そのデザインを1844年まで使用してきました。

1805年のムハンマド・アリー朝になると、事実上の独立を果たし、国旗も変更しました中央に白い三日月と3個の五角星を配した赤旗に変更になりました。3個の星は、アフリカ・アジア・ヨーロッパでの勝利を表しています。
1882年にイギリスの保護領になると、再度国旗を変更し左端(ホイスト)の位置に白い3個の五角星と三日月を配した赤旗のデザインになりました。この3つの五角星と三日月はそれぞれエジプト、スーダン、ヌビアの主権を表しています。

1919年にイギリスに対して革命を起こしましたが、その時は鎮圧されました。しかし、1922年にイギリスはエジプトの独立を承認しました。その際に緑旗に変更し、中央には三日月と五角星を配したデザインに変更しました。
これは、エジプトに住むそれぞれの宗教であるイスラム教、ユダヤ教、キリスト教を表しています。その後1945年に国連に加盟しました。しかし、この旗もあまり長くは続きませんでした。

1952年に王政による不満が高まり、青年将校らによるクーデターと共和制革命が発生しました。共和制政府は当初は緑旗を使用していたが、やがて今日のような赤・白・黒の三色旗を使うようになりました。
ただし、中央の白い部分にあしらった金色の鷲は現在のエジプト国章の鷲とは形が違い、さらに三日月と星を描いた盾を抱えていました。この後の国旗の変化は、もっぱらこの中央部分の図柄の違いです。

ガマール・アブドゥル=ナーセルは、汎アラブ主義に基づきシリアとの統一国家建国を宣言、「アラブ連合共和国」の新しい国旗を制定しました。汎アラブ色を基調に、緑の二つの星はエジプトとシリアの二つの地方をいみします。

この連合は1961年に解体するが、エジプトは以後も1971年まで「アラブ連合共和国」を名乗り、旗は1972年1月1日まで使用された。

1972年、エジプトはリビアのカダフィが提唱した「アラブ共和国連邦」にシリアとともに加入し、3か国で同じ旗を導入しました。緑の星二つの代わりに、連邦のアラビア語名の書かれた巻物を持つ金色の鷹(クライシュ族の鷹)があしらわれました。

この連邦はゆるやかな連合体であり国家統一は行わなかったが、1977年には解体しました。しかしエジプトはこの旗を1984年まで使い続けました。1984年に、再びサラディンの鷲が国旗に復活し、国旗の赤色もアラブ共和国連邦の明るい赤からアラブ連合共和国が使っていた暗い赤へ変更しました。

国旗にまつわるエピソード・風習

エジプトでは、金曜日、祝日、人民議会の開始日、その他内務大臣が旗を掲げるべきであると定めるすべての日に、政府関係の建物すべてに国旗を掲げなければならないとされています。
また税関や国境検問所では毎日掲げられ、国外のエジプト大使館や総領事館では、祝日、国家的な記念日、エジプト大統領の来訪の間はエジプト国旗を掲げなければならなりません。
国旗に対し敬礼をする場合は、制服を着ていない国民は気をつけの姿勢で立ち、手と腕は体の横につけなければならないと決められています。

どのような形であれ国旗を侮辱することは犯罪であり、国家の力に対する軽蔑を行ったとして法に基づき罰を受ける可能性があります。また他国の国旗やシンボルを侮辱することも同様です。

誕生した背景

エジプトは、アフリカにあるイスラム教が主流の国家の一つで、1517年からはオスマン帝国の支配下に置かれておりました。その後1805年にオスマン帝国のエジプト総督ムハンマド・アリーの王朝が成立しました。
これにより、エジプトはムハンマド・アリー朝に移行し、オスマン帝国からの事実上の独立を果たしました。1869年にスエズ運河を完成させますが、イギリスにほどなくして買収されてしまいます。

その後第1次世界大戦が勃発し、オスマン帝国VSイギリスはイギリスの勝利で終わり、名目上の宗主国であったオスマン帝国は、解体されたため、エジプトは、イギリス領の保護領になりました。

その後は、1922年にエジプトがイギリスから独立し、エジプト王国が誕生したましたが、52年にクーデターにより共和制に移行。58年にはアラブ連合共和国をシリアと結成したが、シリアが脱退して解散になりました。

1972年にアラブ連合共和国からエジプト・アラブ共和国に改称し、1984年に新国旗が制定され現在に至ります。

エジプトの国旗の歴史

  • エジプトの国旗の始まり
    世界四大文明
    世界四大文明の1つであるエジプトは古来よりとても栄えていた場所でした。
    ローマの頃はアフリカ西岸付近のカルタゴが農園で栄えていたように、アフリカ北部は今では想像もつかない程豊かな大地だったのです。
    ローマの属州になり、その後はイスラムに征服されました。
    イスラムといっても様々な王朝が移り変わっており、最終的にはオスマントルコ帝国の支配下となりました。
    どちらにせよ500年以上続いたイスラームの支配でしたが、ナポレオンの遠征後、オスマン帝国の支配下から逃れたのもつかの間、その独立をヨーロッパ諸国は認めませんでした。
    1882年、イギリスの保護国となってしまいます。そのご1919年、エジプト革命。イギリスにと鎮圧される。
    1922年、イギリスは、エジプトの独立を承認。エジプト王国建国。でも間接的な支配体制は続いたらしいです。
    エジプト王国の旗がこのとき作られ、これがエジプトの国旗のルーツとなっています。
    緑地に白で月と星のデザインです。俗に言うところのイスラム感が強く感じられるものとなっています。
    緑色はイスラム教の開祖、マホメットのターバンの色と言われていました。
    そして月と星もまたイスラムのシンボルなのです。
  • エジプト共和国の国旗へ
    1953
    エジプト王国はパレスチナ戦闘でイスラエルに敗北してしましました。
    独立後も続くイギリスの間接統治、王室への不満、経済不況などなどと、国内の不満の温度は高まり続けました。
    1952年、その状況を打開する為に再度エジプト革命が起きます。
    このエジプト革命を起こしたのは軍の秘密組織、自由将校団といわれています。
    1953年、王政は敗死され、共和制へと移行。エジプト共和国が成立。

    このときエジプト共和国の国旗が作られました。
    別名エジプト革命の旗と呼ばれています。

  • シリアと連合してアラブ連合共和国の国旗へ
    1958~1984
    アラブ連合共和国の国旗の2つの星はアラブとエジプトということになっています。
    そしてシリアは1961年には連合から抜けてしまいます。
    それからエジプトはシリアへ高圧的な態度をとりつづけました、シリアはエジプト市場への参入が拒否されたとの事で良い関係が築けなかったとされています。
    エジプトは、それ以後もしばらくのあいだアラブ連合共和国を名乗り続けます。
    1971年、エジプト・アラブ共和国へと改名しました。その背景には1967年の第三次中東戦争での敗戦等があります。
    1972年、エジプトはリビアとシリアの三極でアラブ共和国連邦を形成。アラブ共和国連邦旗が出来上がります。
    因みに中央の鷹は「クライシュゾクの鷹」と呼ばれています。
    これはイスラム教の開祖、ムハンマドの出身部族を表しています。
    1977年、エジプトの裏切りにより連合は解体し、そしてそれに激高したリビアのカダフィは新しい国旗を数時間で用意させました。
  • 現在のエジプトの国旗へ
    1984
    赤、白、黒の横三色の中央にサラディンの鷲と呼ばれる国章を配しています。下部のリボンにはアラビア語で国名が記されています。
    赤は青年将校によるクーデターで王制を倒した革命と国民の犠牲、白は明るい未来と無血で専制を打破した新しい時代の到来、
    黒はイギリス植民地支配と専制君主により抑圧された暗黒の過去の終わりと敵の敗北を表しています。
    またこの三色は、第一次世界大戦時のオスマントルコに対するアラブ反乱で使われた旗と同じ色であり、アラブイスラム世界の基本色であり、
    アラブ統一の理念を表している、汎アラブ色と呼ばれています。

国の特色・人種構成

エジプトは、中東・アフリカの共和国で、西にリビア、南にスーダン、北西にイスラエルと隣接しています。南北に流れるナイル川の河谷とデルタ地帯の他は、国土のほとんどが砂漠です。
エジプトは、イスラム教徒が人口の90%を占めており、憲法にも記載されています。残りの10%は、土着宗教とキリスト教です。以前は、イスラム主義活動も行われていましたが、今は禁止されています。

エジプトの人口は、その大分部がナイル川のデルタ地域、スエズ運河に集中し、国土の半分は砂漠のため気温が非常に高い傾向があります。夏は日中気温が40℃あるいは50℃まで上昇することもあるようです。

人口は、若年層が非常に多く現在も増加傾向にあります。そのため,失業率が高めで現在社会問題の一つとなっています。

エジプトの国旗

エジプト国旗のイラスト(フリー・商用利用可能)

エジプトのフリー素材
エジプトのフリー素材2

エジプト国旗の画像(フリー・商用利用可能)

エジプトのフリー画像

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