エジプトについて

国旗の由来

オスマン帝国時代の旗は、初めの1517年は中央に3個の黄色い三日月を配した赤旗でした。そのご1793年にデザインが変更されて白い八角星と三日月を配したデザインになりました。そのデザインを1844年まで使用してきました。 1805年のムハンマド・アリー朝になると、事実上の独立を果たし、国旗も変更しました中央に白い三日月と3個の五角星を配した赤旗に変更になりました。3個の星は、アフリカ・アジア・ヨーロッパでの勝利を表しています。 1882年にイギリスの保護領になると、再度国旗を変更し左端(ホイスト)の位置に白い3個の五角星と三日月を配した赤旗のデザインになりました。この3つの五角星と三日月はそれぞれエジプト、スーダン、ヌビアの主権を表しています。 1919年にイギリスに対して革命を起こしましたが、その時は鎮圧されました。しかし、1922年にイギリスはエジプトの独立を承認しました。その際に緑旗に変更し、中央には三日月と五角星を配したデザインに変更しました。 これは、エジプトに住むそれぞれの宗教であるイスラム教、ユダヤ教、キリスト教を表しています。その後1945年に国連に加盟しました。しかし、この旗もあまり長くは続きませんでした。 1952年に王政による不満が高まり、青年将校らによるクーデターと共和制革命が発生しました。共和制政府は当初は緑旗を使用していたが、やがて今日のような赤・白・黒の三色旗を使うようになりました。 ただし、中央の白い部分にあしらった金色の鷲は現在のエジプト国章の鷲とは形が違い、さらに三日月と星を描いた盾を抱えていました。この後の国旗の変化は、もっぱらこの中央部分の図柄の違いです。 ガマール・アブドゥル=ナーセルは、汎アラブ主義に基づきシリアとの統一国家建国を宣言、「アラブ連合共和国」の新しい国旗を制定しました。汎アラブ色を基調に、緑の二つの星はエジプトとシリアの二つの地方をいみします。 この連合は1961年に解体するが、エジプトは以後も1971年まで「アラブ連合共和国」を名乗り、旗は1972年1月1日まで使用された。 1972年、エジプトはリビアのカダフィが提唱した「アラブ共和国連邦」にシリアとともに加入し、3か国で同じ旗を導入しました。緑の星二つの代わりに、連邦のアラビア語名の書かれた巻物を持つ金色の鷹(クライシュ族の鷹)があしらわれました。 この連邦はゆるやかな連合体であり国家統一は行わなかったが、1977年には解体しました。しかしエジプトはこの旗を1984年まで使い続けました。1984年に、再びサラディンの鷲が国旗に復活し、国旗の赤色もアラブ共和国連邦の明るい赤からアラブ連合共和国が使っていた暗い赤へ変更しました。

国旗の特徴

国旗の特徴としては、赤・白・黒の横三色の三色旗の中央に金色のサラディンの鷲を描いたデザインです。このサラディンの鷲は、1952年のクーデター後の政権時代から国旗に使用されています。 サラディンの鷲は、12世紀のアイユーブ朝初代スルタンで聖地イェルサレムを十字軍から奪還した英雄サラディンの象徴として黄色い鷲が描かれています。そしてエジプトの革命旗・アラブ解放旗の赤・白・黒の三色旗と併用して描かれています。 この赤・白・黒の三色旗は、第1次世界大戦時のオスマン帝国に対するアラブ反乱で使用されていた反乱旗と同じ色であり、この三色はアラブでよく使われることから汎アラブ色と呼ばれています。

国旗の色の意味

現在の国旗の赤い色は、青年将校たちが、クーデターでエジプト王を追放し王政をたおした1952年のエジプト革命以前の時代を表しています。この時代はイギリスの支配などとの戦いの時代ともされています。 白色は、1952年のエジプトで王の専制を無血で打倒した革命の到来を表しています。 黒色はイギリスの植民地支配と専制君主の下にあったエジプト人民の抑圧の終わりを示しています。