ジンバブエの国旗の画像イラストや意味、特徴、由来、誕生年

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ジンバブエの国旗や由来意味、特徴、国旗の成り立ち・豆知識、ジンバブエ国旗イラスト素材などを解説いたします。

ジンバブエの国旗

国名の正式名称

ジンバブエ共和国

ジンバブエを表す漢字一文字

誕生年

1980年

国旗の色の意味

何よりも、カラフルで派手なカラフルな縞模様がきれいな旗といえます。ジンバブエ国旗で使われている緑、黄色、赤、黒の4色は、独立の中心だったジンバブエ・アフリカ民族同盟の旗の色と同じとされています。緑は大地、黄色は天然資源、赤は独立戦争で流された血、黒は先住民の伝統と民族を意味し、表しています。左側にいる黄色の鳥は、「大ジンバブエ鳥」とよばれるもので、ジンバブエの栄光のシンボルであり、アイデンティティを示すものでもあるとされています。鳥とも取れるし、逆に鳥にも見えないかな・・・というこの鳥、実は世界遺産であるグレート・ジンバブエ遺跡で発掘された鳥の石像をモデルにしているというのです。なので、「台座の上に鳥が座っている」絵柄になっ手いるといっても過言ではないです。大ジンバブエ鳥の後ろの赤い星は国家の希望を、白い部分は平和と進歩という意味が込められています。

国旗の特徴

ジンバブエ共和国(Republic of Zimbabwe)はアフリカの南部にあります。首都は北部の街、Harare(ハラレ)です。過去には一時期、イギリス領でしたが1965年に独立、白人系中心のローデシア共和国となりました。その後1980年より黒人系中心のジンバブエ共和国(以降、ジンバブエ)として現在の形になっていきます。JOCVは1989年よりジンバブエへの協力参加を行なっています。ジンバブエ国旗日本で、ジンバブエが悪い意味で有名になったのが2009年まであったハイパーインフレーションといわれており、紙幣の価値が急激に下がり、卵数個買うのにお札の束を抱えてもっていったり、紙幣の額が追いつかず100兆ジンバブエ・ドルという紙幣が刷られたり、といったニュースが有名です。 そんなジンバブエ湖国旗の特徴はなんのいってもそのカラフルさ! 使っている色はトータルで5色ですが、その並び方や色みの発色感などがとにかく派手です。 世界でみても指折りのカラフルな国旗といえます。

ジンバブエの地図

国旗の色(色番号)

#da1a0c #dccfcd #fac905 #369409

ジンバブエ国旗の意味や由来

ジンバブエ国旗の意味や由来、フリーイラスト、画像をまとめました。

ジンバブエ国旗の由来

紋章の鳥は「ジンバブエ・バード」と呼ばれ、遺跡に刻まれた彫刻で、民族の誇りと栄光の象徴とされています。白い三角は平和と未来を、赤い星は社会主義を表しております。配色は「アフリカの色」で、緑は植物と土地資源を、黄は鉱物資源を、赤は独立闘争で流された血と犠牲を、黒は国民を表しています。

ジンバブエ国旗に似てる国旗

色味では、エチオピア、ガーナ、カメルーン、ザンビア、ギニアビサウ、なんかが同じカラーリングかなという点で共通はありますが、どれも似てはいません。
それほどジンバブエの国旗は個性的といえます。
ただし、似てはいませんが「狙いは・・・ルーツは同じかな・・・」という国旗はあります。
それはザンビアです。
1964年の独立以来、概して内政は安定的に推移している。1991年10月には複数政党制による選挙が実施され、チルバ氏がカウンダ初代大統領に圧勝し第2代大統領に就任しました。2001年12月にはムワナワサ元副大統領が大統領選で僅差で当選、ムワナワサ第3代大統領は、自らの政権を「ニューディール政権」と称し、汚職の追放と専門家登用による実務重視の政治を実践し、チルバ前政権時代の汚職に厳しく対応した。という内政のあるザンビアの国旗がジンバブエと同じく鳥を配し、色味もおおよそ共通している。
ジンバブエはよこしまがポップでカラフルな仕上がりともいえますが、ザンビアはほぼ緑で鳥が3色ラインの上を飛んでいるというちょっとシュールな仕上がりです。
でもやはり、似てはいないです。

ジンバブエが誕生した背景

南アフリカに位置するジンバブエ共和国はアフリカ大陸の南部に位置する、ショナ語で「石の家」という意味の名前を持つ共和制国家です。
雄大な自然に恵まれ、躍動感あふれる野生の動物たちや、凄まじい轟音と共に流れ落ちる世界三大瀑布のひとつであるビクトリアの滝など魅力的な観光資源がたくさんある国です。
世界文化遺産のグレート・ジンバブエ遺跡も見逃せません!他のアフリカ諸国の遺跡は木や土で作られていますが、グレート・ジンバブエは巨大で精緻に造られた石造りの都市遺跡を見ることができます。
かつては「アフリカの穀物倉庫」と呼ばれるほどの豊かな国でしたが、強引な土地改革による農業システムの崩壊など悪条件が重なった結果、前代未聞のハイパーインフレーションによる極度の混乱に陥った過去も持っている国です。
最悪の独裁者といわれるムカベ大統領を筆頭にハイパーインフレと立ち向かっていますが、今後どうなっていくかは目を離せない状態となっています。
そんなジンバブエの起源は紀元前2500年以上前といわれており、そのころから人が住んでいました。
集落が形成されはじめ575年ごろになると南部では12000~15000人が集まった「マプングブエ国」という小国ができています。この王国は金の中継貿易で当時はかなりの繁栄を見せていました。12世紀ごろにシャシ川とリンポポ川周辺が干ばつに見舞われ、交易ルートが変わってしまい急速に衰退しました。
詳しいことは分かっていませんが、丘の上の墓からは金箔のサイなど工芸品が発掘されています。このマプングブエの丘という名前で世界遺産に登録されました。
北部では650年ごろから石で造られた家ができ始めました。
これが、世界遺産に認定されているグレート・ジンバブエです。
マプングウエ国の衰退による新しい交易ルート上にあったため、ものすごい勢いで発展を遂げています。このころの人口は35000人にも及んだようです。
このグレート・ジンバブエは、街の周囲に城壁を築き、首長の宮殿を築いています。
同時代のヨーロッパ主要都市と比べてひけを取らないほどの規模を誇っています。
こんなに栄えたグレート・ジンバブエでしたが、金の産出が減ると共に次第に材木や食料も取れなくなり、15世紀には放棄され忘れ去られた存在になりました。
グレート・ジンバブエの1450年からは、トルワ王国がジンバブエ高原のカミを拠点都市として発展し1683年まで繁栄しました。
彼らはグレート・ジンバブエと同様石造建築技術と窯業スタイルを発展させていきます。
石組みのデザインはグレート・ジンバブエ遺跡には見られないものも存在しています。
ここも世界遺産にカミ遺跡として登録されています。
トルワ王国と共にザンベジ川中流域にはモノモタパ王国という国も存在していたとされています。
このころは混乱期でいろんな小国が覇権争いを繰り広げていました。
モノモタパ王国に続いて「ロズウィ王国」が、19世紀中ごろまで栄えました。
16世紀に入り、初めてジンバブエに入植したのはポルトガルでした。
しかし、ジンバブエは覇権争いをしている間に、強力な軍事力を備えていたようで、ポルトガルを撃退し追い出しています。
他の国とは違い侵略を受けずに19世紀まで自力で領地を守っています。
ジンバブエの誕生起源から古くの話はこういったところです。」

仲の悪い国・仲のいい国(紛争中など)

1980年の独立後もジンバブエには元イギリス植民地だったこともあり、その子孫などの白人系も多くいました。
が、2000年ごろから「土地を黒人の手に取り戻す」と政策転換、一時期西欧諸国をはじめとする白人系国家と関係が悪化、経済制裁などを受けたこともあり、白人系の数は減りました。ただし近年はやや軟化し、独立以降ずっと元首だったムガベ大統領が高齢のため、近いうちに政権に変化が起こる可能性が噂されており、関係良化を期待されています。
またアジアなどからの移民やビジネスでの流入も進み、中国人は1万数千人、韓国人1000人程度いると言われています。
中国人の多くはダイヤモンドなどの資源採掘で入っている中国資本の会社で働く関係者が多いとのことで、他の世界各国同様、中国人オーナーの中華レストランや中国の物を扱った店舗なども多く見かけ、中国コミュニティの存在感を強く感じます。

ジンバブエの特色・人種構成

特色:国民性は真面目で気性は穏やか、というのが周辺国からの評判。
教育レベルやそのための設備も、科目や学校によってまちまちではありますが、先進国の水準に近いものを導入するところも少なくなく、他のアフリカ諸国より高めにあるようです。一方で教科書を個人で買うのは難しく、講師ですら図書館から借りて授業準備をしていたりするなど、個人としては十分に教材を揃えられないほどお金に余裕がない人を多く見かけます。

人種構成:民族的にはショナ族(母語:ショナ語)が国民の7割と多くを占めますが、ンデベレ族(母語:ンデベレ語)他いくつかの民族も混在、周辺国との出入りも多くあります。そのため共通語としての公用語である英語は小学校より学び、教育レベルにかかわらず、ほぼすべての国民が話せます。また、元イギリス植民地だっためイギリス英語がベースです。
ジンバブエでは4人に3人と多くがキリスト教系です。その他は土着の宗教や、中東系の人を中心にイスラム教などがありますが、体感的にはネイティブのジンバブエ人はほとんどキリスト系だと言えるでしょう。
日本でも仏教が伝来した際、既にあった儒教の概念とまざりながら広まっていきましたが、ジンバブエを含むアフリカでのキリスト教布教も同様に土着の宗教を巻き込んでいき、独特のスタイルが出来上がっています。歌好き文化を取り込むその国民性も国旗と同様に派手といえます。ジンバブエでは映画「天使にラブソングを」とまではいきませんが、ゴスペルが非常に多いです。

ジンバブエの国旗の歴史

  • ジンバブエの国旗の始まり
    ジンバブエ・ローデシアという1979年6月1日から1980年4月18日まで使用された国名でスミス政権と穏健派アフリカ人解放組織との間で行われた
    「内部解決」によって誕生した国です。この国の国旗がいわばジンバブエの国旗のルーツとなっています。
    上から、赤白緑のよこしまの左側に黒いスペースがあり、そこには現在のジンバブエ国旗にも用いられているソープストーン彫刻の鳥(大ジンバブエ鳥)
    が配されています。
  • 現在のジンバブエの国旗へ
    1980年
    イギリスの植民地であったジンバブエは第2次世界大戦が終わってから、少しずつ住民たちによって独立の気運が高まりました。
    それでもイギリスは認めようとせず、現地政府の首相があくまで白人の優位性を主張した上に、「ローデシア共和国」として人種差別政策を進めます。
    黒人たちはこれに対してゲリラ戦に持ち込んで徹底抗戦し、イギリス本国の調停が入った結果「定員100人の国会議員のうち、20人を白人枠にする」
    ということで合意しました。

    こうして1980年、現在のジンバブエ共和国が成立し、現在の国旗が制定されました。

    そんなジンバブエの歴史は1868年、アメリカの狩猟家が偶然、森林の中に巨大な廃墟を発見しました。それがジンバブエ遺跡であるというはなしになり、
    モノモタパ王国の都でありました。ジンバブエにはおそらく王宮と思われる巨大な石造建築が並び、また鉄器や金細工の他に中国の陶器、ペルシアの陶器、
    アラビアのガラス、インドのビーズなど出土している。
    ちなみに、この地は後にイギリスのケープ植民地首相セシル=ローズによってイギリスの植民地に編入され、ローデシアと名付けられました。
    その後、北ローデシアはザンビアとして独立、南ローデシアは白人政権が一方的に独立を宣言してローデシアと称したが、多数派の黒人が立ち上がり、
    1980年には黒人政権が成立して、国名を古代モノモタパ王国の都にちなみ、ジンバブエに改めました。

    ジンバブエにはヨーロッパとの切ってもも切れない歴史があります。
    前記した植民地になるまでの話は、16世紀に入り、初めてジンバブエに入ったヨーロッパ人は、ポルトガル人でした。
    時は大航海時代。南米大陸で鬼畜行為を行っていたポルトガルは、同じく現地ジンバブエ人と衝突します。
    しかし、この群雄割拠の時代のジンバブエ人はかなり強かったようで、なんとポルトガル人を撃退。ジンバブエから全てのポルトガル人を駆逐します。
    こうして暫くは見事にヨーロッパの侵略を抑えたジンバブエでしたが、ついに1888年に、イギリス南アフリカ会社に侵略・統一され、
    「ローデシア植民地」として、植民地の道を歩み始めます。

ジンバブエの国旗

ジンバブエ国旗のイラスト(フリー・商用利用可能)

ジンバブエのフリー素材
ジンバブエのフリー素材2

ジンバブエ国旗の画像(フリー・商用利用可能)

ジンバブエのフリー画像

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