ハイチの国旗
国名の正式名称
ハイチ共和国
ハイチを表す漢字一文字
誕生年
国旗の色の意味
国旗の特徴
ハイチの地図
国旗の色(色番号)
Contents
ハイチ国旗の意味や由来
ハイチ国旗の意味や由来、フリーイラスト、画像をまとめました。
ハイチ国旗の由来
1957年に大統領に就任したフランソワ・デュヴァリエは、秘密警察「国家治安義勇隊(通称、トントン・マクート)」を用いた強権支配によりハイチを独裁的に支配し、個人崇拝を推し進めました。その政策の一環として1964年に国旗を変更。青と赤が用いられてきたハイチ国旗の青を黒に変更し、横二分割だったデザインを縦二分割に変えています。
この黒と赤、そして縦二分割のデザインは、1804-1806年のハイチ帝国時代、そして1811-1820年のハイチ王国時代に用いられていた意匠です。正式に王制へ移行することこそ無かったものの、そうした旗を復活させることにより、デュヴァリエは自らを共和国の大統領ではなく王国の君主として位置付けていたのでしょう。これは彼の死後に大統領の座を若干19歳の放蕩息子ジャン=クロード・デュヴァリエが世襲したことからもうかがえます。
このような支配形態は内外から批判され、1985年に国内各地で反政府暴動が発生。それまで政権を支援してきたアメリカもハイチ国内の反乱が社会主義革命につながることを恐れ、「王朝」のすみやかな終焉による反乱の収束を望むようになり、支援を停止。翌1986年にデュヴァリエ政権は崩壊しました。デュヴァリエ一族はフランスに亡命し、国旗は再び青と赤、つまり現在のデザインに戻されました。
誕生した背景
1804年にカリブ海で最初に独立した国です(フランスから)。しかし政情不安や1957-1986年のデュヴァリエ親子の独裁政権、そして相次ぐ天災等により、現在は南北アメリカで最も貧しい国となっています。
国の特色・人種構成
特色:中央アメリカ、カリブ海に浮かぶイスパニョーラ島の西部を占めるハイチの国旗、独立運動の指導者ジャン=ジャック・デサリーヌは白人による支配からの脱却を表すため、フランス国旗から白を除いた青と赤の旗を考案し、独立と同時に国旗としました。
人種構成:アフリカ系黒人95%ムラート(白人と黒人の混血)4%極少数のヨーロッパ系白人、アラブ人、ユダヤ人など。