バチカンの国旗の画像イラストや意味、特徴、由来、誕生年

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バチカンの国旗や由来意味、特徴、国旗の成り立ち・豆知識、バチカン国旗イラスト素材などを解説いたします。

バチカンの国旗

国名の正式名称

バチカン市国

バチカンを表す漢字一文字

誕生年

1929年

国旗の色の意味

まずは黄色と白の配色からです。これは1825年、ローマ教皇レオ12世によって決められたものです。その由来にはいくつかの説がありまして、十字軍が遠征していた時代のエルサレム王国の「銀色の盾に描かれた金十字の紋章」に由来している、というものがひとつ、それと法王庁の衛兵の肩章の色に由来している、という説が流れています。どちらも信憑性が感じられます。白い部分に描かれているのはバチカン市国の国章であります。金と銀の鍵が交差しているデザインになっています。これは「天国の鍵」と呼ばれる、イエスから聖ペトロへ与えられた、キリストの代理を務める者の印というものです。聖ペトロの後継者である、教皇を象徴しています。鍵の上にあるのは、「三重冠」という、教皇の冠。「立法・司法・行政」の3つの権力を示すものとされています。ここまでとても由緒正しき風合いが感じられます。国章から、ローマ教皇の権力の偉大さや確固たる地位というメッセージがなんとなく表現されています。また、この国旗のもうひとつの特徴は、正方形に定められていることといえます。スイスも正方形の国旗ですが、法律などで定められているわけではなく、バチカン市国の国旗は、「世界でただひとつ、正方形に決められた国旗」といえるのです。

国旗の特徴

東京ディズニーランドよりも小さな「バチカン市国」。4世紀に「サン・ピエトロ大聖堂」が建立されたのがはじまりとされています。 イエス・キリストの弟子であった聖ペトロの墓の上に大聖堂を建てたというおはなしです。 8世紀に教皇に土地が与えられ、19世紀まで教皇の領地と共に栄えたということで、カトリックとは切り離せない深い歴史を持つ国といえます。 1929年にイタリアの国家統一がなされた時に、領土問題で対立し教皇領を手放す代わりに独立国家となり、今日のバチカン市国に至ります。 そんなバチカン市国の国旗は特徴としては、左右のツートーン、黄色と白色です。 その右側の白に精巧なつくりともいえる鍵のような絵がかなりの存在感を示しています。 こぎれいな国というイメージは想起しやすく、豊かな雰囲気も感じ取れます。

バチカンの地図

国旗の色(色番号)

#fcb704 #e1d9cc #b42626 #fcc96a

バチカン国旗の意味や由来

バチカン国旗の意味や由来、フリーイラスト、画像をまとめました。

バチカン国旗の由来

黄と白は法王庁の衛兵の帽子の色に由来します。法王の冠と共に紋章に描かれている金銀の鍵はペテロの鍵と呼ばれ、イエスが弟子ペテロに言った言葉「あなたに天の国の鍵を授ける」に由来し、霊界と俗界の支配権を象徴するものとされています。
黄色と白は衛兵の帽子の色。冠と鍵は、キリスト教のあのイエスが弟子に贈った言葉が由来となっています。

バチカン国旗に似てる国旗

残念ながら、残念かどうかをおいておいても、バチカンと似ているというほかの国の国旗はありません。まず、正方形というのがありません。デザインで言っても、似ているものは泣く、完全独立デザインといえます。それでも共通点くらいは・・・というものも、こじつけ以外は見当たりません。

バチカンが誕生した背景

現在のバチカン市国がある場所は、古代ローマにおいては郊外にあったため、人は住んでいなかったとされています。そこに、324年にローマ皇帝の「コンスタンティヌス1世」が、イエスキリストの弟子「ペテロ」の墓が建つ丘に、「サン・ピエトロ大聖堂」を建てたのが始まりです。「コンスタンティヌス1世」は、ローマ皇帝としては初のキリスト教徒ということでしたので、思い入れもあったとされています。
ここからバチカン市国はカトリック教会の本拠地として発展していきます。
756年にはフランク王国カロリング朝ピピンが、ラヴェンナなどの都市を法王に寄進し、そこに法王領を持つようになりました。
法王権が最盛期に達した12~13世紀には、ローマ各地から巡礼が集まり繁栄しました。
しかし、1307年に教皇庁が南仏のアヴィニヨンに移されると、教皇が不在となり豪族たちの紛争が起こったのです。
1348年に疫病であるペストが大流行してしまい、市民の人口はなんと2万人以下に減ってしまいました。
1378~1417年の間には、ローマとアヴィニョンにそれぞれローマ教皇をおき、カトリック教会の大分離が起こります。
1420年に新任の第206代ローマ教皇マルティヌス5世(在位1417-1431年)がローマ入りした時のローマの荒れようは予想以上。
盗賊がはびこり教会は家畜小屋というありさまでした。
1450年の聖年に巡礼がローマにきたことでローマは富を得ました。
当時の第208代教皇ニコラウス5世(在位1447-1455年)は、バチカン宮殿やサン・ピエトロ聖堂の改築を命令しました。
1471年ごろ第212代教皇シクストゥス4世(在位1471-1484年)の教会国家強化へ向けて活動し、ローマを大国へと導きました。
バチカン図書館を充実させシスティーナ礼拝堂も建立しています。
第216代教皇ユリウス2世(在位1503-1513年)に教会国家強化政治が引き継がれ、絶対君主として教皇の立場を強固にしました。
戦争を好む教皇はフィレンツェからルネサンスを奪いました。
1508~1512年にシスティーナ礼拝堂の天井画を彫刻家のミケランジェロが描きました。
教皇とミケランジェロの芸術史に残る葛藤が繰り広げられました。
ミケランジェロの華麗な天井フラスコ画は、教皇はもちろん現在も人々を魅了しています。

仲の悪い国・仲のいい国(紛争中など)

特別に仲が悪いとも良いともされる国はなく、過去に19世紀半ばまで、教皇領を保持していましたが、イタリア統一運動の活性化に伴い1860年にイタリア王国が誕生し、領地を巡り教皇庁と王国政府は断絶状態になります。
1870年に普仏戦争では教皇領の守備を担ったフランス軍が撤退してしまい教皇領は全て王国のものになりました。
1871年に第255代ピウス9世(在位1846-1878年)はバチカンの囚人と称してバチカンに引きこもり、これは後にローマ問題と呼ばれ50年にもわたり断絶状態が続きます。
1929年にようやく第259代教皇ピウス11世(在位1922-1939年)と全権代理ガスパッリ枢機卿とベニート・ムッソリーニ首相の間で話し合いが 成立し、ラテラノ条約が締結された。
これによりバチカンは独立国家となったりました。

1984年に信教の自由を考慮し修正が加えられています。
カトリックの総本山の深い歴史と独自の文化を持つ国バチカンは、国自体がユネスコ世界遺産になっています。
ミケランジェロやラファエロの天才芸術家の魅力に触れることのできる小さな国です。

バチカンの特色・人種構成

特色:イタリアの首都ローマ北西部・バチカンの丘にある世界最小の国家(0.44平方km,皇居の約1/3)がバチカン市国です。国全体が世界遺産に登録されており,サン・ピエトロ広場,サン・ピエトロ大聖堂,バチカン博物館周辺は,いつも世界中からの観光客で賑わっています。

人種構成:中世ヨーロッパの都市のように城壁に囲まれたバチカン国内には約800人の“国民”が居住していますが,そのほとんどが聖職者と修道士・修道女です。その他,法王庁には約3,000人の職員が働いており,そのほとんどは「国外」であるイタリアから通勤している“外国人”。イタリアや多くの西ヨーロッパ諸国との移動にはパスポートが不要です。なお,バチカンの公用語は,古代ローマ帝国の公用語であり,今やほぼ学術用語でしか使われていないラテン語ですが,外交用語はフランス語,日常業務では主にイタリア語が使われています。

バチカンの国旗の歴史

  • バチカンの国旗の始まり
    1825年
    1825年に制定された教皇領の旗がバチカンの国旗のルーツとなっています。
    ほぼ、同様のデザインといってよいです。
    このデザインをベースとした現在の国旗が、バチカン市国のたったひとつの国旗となっています。
  • 現在のバチカンの国旗へ
    1929年
    ※王朝や始まり、旗の意味や崩壊の理由など

    ローマ市内にあるバチカン市国は、ローマ教皇を国家元首とする人口約800人の世界最小の独立国であります。
    1929年にイタリアのムッソリーニ政府とローマ教皇庁の間で結ばれたラテラノ条約により誕生しました。
    このときに、現在の国旗が制定されました。

    国の面積は世界最小ながら、世界中のカトリック教会の頂点に立ち、キリスト教徒にとって最も神聖な場所のひとつであります。
    また、国全体が世界遺産に登録されている唯一の場所といわれています。

    この地にローマで殉教した聖ペテロの墓があると伝えられ、4世紀にバシリカ式の教会堂が創建されました。
    この教会堂は、創建から1,000年以上たって老朽化が進んだため、16世紀初頭からブラマンテやラファエロ、
    ミケランジェロなどルネサンスの芸術家たちが参加して大改修が行われました。
    そして約120年かけて、現在のサン・ピエトロ大聖堂が完成しました。

    そもそもバチカンとは、古代のローマ市の近郊でイエスの弟子ペトロが葬られた丘の地名でした。
    のちにペトロは初代の教皇とされ、4世紀にはペトロの墓の上に聖ピエトロ聖堂が建設されて、教皇庁の本拠地となったのです。

    その後、西欧では西ローマ帝国が崩壊して、ゲルマン人の諸部族による抗争やイスラム教徒の侵攻が続きました。
    教皇庁にとっては受難の時代です。

    こうした中、756年にカロリング朝フランク王国を興したピピン王が、教皇庁にイタリアのラヴェンナ地方などの領土を寄進します。
    ピピン王は、それまで西欧を支配していたメロヴィング王朝を倒して王座につきましたが、このとき教皇庁の宗教的な権威を後ろ盾にしたのです。
    一方、教皇庁は東ローマ帝国の東方正教会と対立していたので、西欧を再統一したフランク王国による保護を求めていました。

    つまり、ピピン王による領土の寄進は、フランク王国の武力・権力と、教皇庁の宗教的な権威が手を握ったことの象徴といえるのです。
    ピピン王の寄進は、教皇が領主として領土を治める教皇領のはじまりとなりました。

    以降、西欧の王朝に対する教皇の権威は拡大し、教皇領は西欧のあちこちの地域に広がり、教皇庁には多くの税収が入るようになります。
    ところが、そうなると、次第に本来の教会の清貧の精神を忘れ、富や権力をむさぼるような聖職者も少なからず現れました。

    このような歴史背景を持つ世界一小さな聖なる国です。

バチカンの国旗

バチカン国旗のイラスト(フリー・商用利用可能)

バチカンのフリー素材
バチカンのフリー素材2

バチカン国旗の画像(フリー・商用利用可能)

バチカンのフリー画像

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