クウェートの国旗
国名の正式名称
クウェート国
クウェートを表す漢字一文字
誕生年
国旗の色の意味
国旗の特徴
クウェートの地図
国旗の色(色番号)
Contents
クウェート国旗の意味や由来
クウェート国旗の意味や由来、フリーイラスト、画像をまとめました。
クウェート国旗の由来
クウェートの国旗は1961年の独立と同時に制定されたもので、隣国イラクとの歴史的な結び付きから、王政時代のイラク国旗に強く影響されたデザインとなっています。もっとも、クウェート独立3年前の1958年にイラク王国はクーデターで崩壊し、新たにイラク共和国が成立していました。赤、白、黒、緑の配色は汎アラブ色と呼ばれ、アラブ世界全体の連帯を表す色としてアラブ諸国によく使われています。クウェート国旗の場合は更に、緑は国土と平和、白は純潔と国民の偉業、赤は勇気と敵の流血、黒は聖戦とイスラムの勝利をそれぞれ表します。また黒が台形で表されるのは、もともと遊牧民だったアラブ人にとって戦友である馬が、砂埃をあげながら疾走する様子を象徴しているとのこと。
誕生した背景
アラビア半島とイランに挟まれたペルシア湾(アラビア湾)の最奥部に位置する君主国です。この一帯はかつてオスマン帝国の間接統治下に置かれ、現在のイラク南東部に相当するバスラ州の一部とされていましたが、アラビア半島中部からこの地に進出したサバーハ家が18世紀後半に土着の部族を駆逐し、支配権を確立しました。しかしその領土は小さく、また大国に脅かされやすい位置のため、1899年にサバーハ家はイギリスとの間で保護条約を締結。イギリスに外交や国防を委任し、保護国になることで国土の維持を図りました。これは見事に成功し、イギリス軍が撤退した1961年にはクウェート国として改めて独立国となったものの、隣国イラクは歴史的にクウェートを自国領であるバスラの付属地と見なしており、独立に強く反発しました。イラクがサッダーム・フセイン政権下にあった1990年には、石油の利権や価格をめぐってイラクの意向を無視し続けたクウェートに対し、遂に不満が爆発。戦力で圧倒的優位に立つイラク軍がクウェートの制圧を行い、強制的に併合してしまいます。これはイラクにとっては失地回復という大義面分がありましたが、国際社会にとっては紛れも無く主権国家に対する侵略行為であり、翌1991年にアメリカを中心とする多国籍軍がイラク軍を攻撃しました。これがいわゆる湾岸戦争で、結局多国籍軍がイラク軍を撃退し、クウェートは解放されましたが、クウェート人のイラクに対する不信感は根強く残り、両国の国交回復はフセイン政権崩壊後の2004年までずれ込んでいます。
国の特色・人種構成
特色:クウェートの土地は砂漠気候のため農業に不向きで、かつては真珠の養殖と遊牧、そして交易が細々と行われるだけの貧しい地域でした。しかし1938年に南部で世界第2位の埋蔵量を持つとされるブルガン油田が開発され、1946年に石油の輸出を開始したことから、クウェートの経済、社会、文化は激変します。経済的自立の術を手に入れたクウェートは1961年の独立後、産油国として国際的な地位を高め、現在では世界有数の豊かな国となりました。一方、いくら油田が巨大でも資源は有限。いつか枯渇の時を迎える石油に過度に依存することへの危機感も強く、クウェート政府は来たるべき将来を見越して、石油化学工業や金融業、観光業など様々な面で産業の多角化を推進しています。
人種構成:アラブ人60% 非クウェート国籍32% クウェート国籍28% 南アジア系(インド人、バングラデシュ人など)35% ペルシア(イラン)人3% アフリカ系黒人2%