パナマについて

国旗の由来

パナマは中米に位置する小国ですが、スペインの探検家ロドリーゴ・デ・バスティーダスによって発見され16世紀にスペインが入植するまでに先住民族の数は約200万人住んでいたとされています。1501年にスペインがパナマを発見すると1508年にスペイン人が入植を開始しはじめました。1519年には植民地化が完了しパナマ市が建設されました。パナマは他の南米諸国と同じように疫病と奴隷労働で先住民族は大打撃を受けました。 スペインは、他の植民地よりもパナマを重視していました。それは、パナマが地理的に南米大陸に通じる重要拠点であったため、パナマを中心としてピサロはインカ帝国の侵略計画を策定し実行しました。そのため、パナマはスペインに物資を送るための中継地点として長い期間反映します。主にスペイン輸出用のボリビアで取れるポトシ銀山の銀は陸路でパナマを経由した後に海路でスペインへ輸出されました。 周辺諸国の植民地化が終了したスペインは、新たに創設されたヌエバ・グラナダ副王領にパナマを編入しました。1808年にスペイン独立戦争が勃発するとスペイン植民地でも独立運動が各地で起こりました。1819年に南米解放の英雄シモン・ボリバールがヌエバ・グラナダ副王領を開放すると所属していた各国は一斉に独立。パナマもその勢いに乗り独立に成功し、自発的に新国家大コロンビア共和国に加盟しました。 その後エクアドルを初めとした大コロンビア共和国所属の国家が独立したため、大コロンビア共和国は解体され、新たにコロンビア・パナマを中心としたヌエバ・グラナダ共和国が建国されました。この時に使用されていた国旗は、赤・青・黄色の縦三色国旗でした。始めは順調に行っていたヌエバ・グラナダ共和国でしたが、コロンビアの権力が強くなり始めたことでパナマ内部から不満が出始める中、アメリカも戦略的事情から中米の国家を必要としていました。 アメリカはコロンビアからパナマ運河の建設を反対されたため、パナマを独立させ管理地区として統治を開始しました。この時に国旗が制定されました。その後パナマは1999年にすべての統治地域をアメリカが返却したことにより完全独立を果たしました。

国旗の特徴

パナマ共和国は、青赤の五角星を配した青赤の4分割国旗特徴で、このデザインは1903年にコロンビアから独立した際に一番初めに掲揚され、1905年に正式に現在の国旗が制定されました。デザインの発案者は初代大統領のマヌエル・アマドールであり、制作者は大統領妃のマリア・デ・ラ・オッサ・デ・アマドールでした。独立時に旗は作成されましたが、その時にデザインは影響力が強かったアメリカ国旗を参考にしたと言われています。 パナマはアメリカの支援もあり独立に成功しました。しかし、新たに制定された憲法ではパナマ運河地帯の幅16kmの主権を永遠にアメリカ合衆国に認めるとの規定があり、以降パナマはアメリカ合衆国によって事実上支配されることになりました。運河地帯の主権を獲得したアメリカ合衆国によって運河建設は進められ、1914年にパナマ運河が開通しました。これによりパナマは、中米における最重要拠点の一つとして数えられるようになりました。国旗の色にも意味があり、独立当時の2大政党であった保守党と自由党が互いに今日よく関係を築き、平和な国家を作るという願いが込められています。

国旗の色の意味

パナマの国旗は、赤・白・青の3色が用いられ、赤星及び青星が配置されたデザインの旗です。この色のそれぞれの意味は、青は独立当時にあった政党の保守党を表し、赤は自由党を表しています。 また星にも意味がり、青い五角星が国民の誠実さと純粋さで赤い五角星が法律と権威を表しています。そして白は両党の平和と協力の象徴の色とされています。