インドの国旗の画像イラストや意味、特徴、由来、誕生年

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インドの国旗や由来意味、特徴、国旗の成り立ち・豆知識、インド国旗イラスト素材などを解説いたします。

インドの国旗

国名の正式名称

インド共和国

インドを表す漢字一文字

誕生年

1947年

国旗の色の意味

サフラン・白・緑の横三色旗で、中央にチャクラ(法輪)が描かれています。上段のサフラン色は黄色系統の色です。この色はヒンドゥー教を象徴する色です。下段の緑はイスラーム教を象徴します。中段の白は両宗教の和解を意味します。両宗教の和合こそがインド統一にとって必要不可欠だとの意思の表れです。しかし、この理想は実現しません。イスラーム教が多数を占める西部のパンジャーブ地方はパキスタンとして、東部のガンジス川下流(ベンガル地方)はバングラデシュとして独立し、パキスタンとは数度にわたって戦火を交え、現在も決して良好とはいえない関係です。

国旗の特徴

国旗の縦横比は2:3です。これによく似た国旗としてニジェール国旗があります。ニジェールは上段が橙、中段が白、下段が緑です。中央には太陽を表す橙の円が描かれています。しかし、縦横比は6:7なので比に注目すれば区別がつきます。アイルランドやコートジボワールとも似ていますが、こちらは縦三色旗なので横三色旗のインドとは違いが明白です。

インドの地図

国旗の色(色番号)

#fc840a #060659 #fc902a #8585a2

インド国旗の意味や由来

インド国旗の意味や由来、フリーイラスト、画像をまとめました。

インド国旗の由来

ンド国旗をデザインしたのはインド独立の父であるマハトマ=ガンディです。
当初の色は白・緑・赤の横三色で中央には糸車が描かれていました。
1931年に現在と同じ配色となりましたが、中央には青に糸車が描かれていました。
これにはガンディのこだわりがありました。
イギリスのインド支配に対する抵抗運動のうち国産品愛用運動(スワデーシー)では、安価に大量に作られたイギリス製綿製品を買わずに自らの手で糸車から糸を作ることでイギリスの機械文明に対抗しようとする意志の象徴だったのです。

1947年にインドがイギリスから独立した際、国旗のシンボルは特定の共同体や運動を表してはならないという意見から糸車の代わりに仏教のダルマ(法)を意味するアショーカ・チャクラを採用し、最終的にガンディもこれに同意しました。

国旗にまつわるエピソード・風習

1947年にインドが独立したのち、ガンディはヒンドゥ・イスラーム両宗教の融和に努めます。
彼は紛争地域の村々を巡回し、抗争の鎮静化を図ります。
彼のこの活動は死に至るまで続けられました。

時に、紛争を止めるまで一切食物を口にしないと宣言し、戦いが収まるまで断食をつづけたこともありました。
こうした彼の態度は皮肉にも彼自身が属していたヒンドゥ教の中で批判的に見られました。

1948年、ガンディはヒンドゥ教原理主義者によって暗殺されてしまいます。
彼の葬儀は国葬とされ遺灰はヤムナー川・ガンジス川・南アフリカの海にまかれました。

誕生した背景

インドは多くの宗教に彩られた国です。
古代、北インドでシャカによって仏教が開かれました。
マウリヤ朝のアショーカ王、クシャーナ朝のカニシカ王などが積極的に仏教を保護しました。
3世紀から6世紀のグプタ朝のころはヒンドゥ教が中心となったが仏教も併存していました。
7世紀にヴァルダナ朝が北インドを最後に統一し短期間で滅亡したのちは広範な領土を支配する王朝は現れませんでした。

10世紀以降、西方からイスラーム勢力がインドに侵入します。
13世紀初頭からデリーを中心とするイスラーム系諸王朝による北インド支配がはじまります。
16世紀以降はムガル帝国が支配します。

タージマハルなどを立てたのはこの王朝です。
一時はインドの大半にまで領土を拡大しますが、アウラングゼーブ帝の死後、帝国は衰退します。

18世紀末、セイロンを併合したイギリスは本格的に南アジアに進出します。
19世紀前半にネパールを、19世紀後半にはミャンマーを保護国化・領土化しました。
1858年のインド大反乱の後、イギリスはイスラーム教徒のスルタンを解任、東インド会社を解散させイギリス女王を元首とするインド帝国を成立させます。

その領土にはヒンドゥ教・イスラーム教・仏教など多くの宗教が含まれていました。
また、直轄州と大小500以上の藩王国にに分ける分割統治を行いました。
20世紀になるとガンディらの独立運動に直面します。
二つの世界大戦を経て植民地インドを統治する力を失ったイギリスはついにインドの独立を認めました。
それがきっかけとなっています。

インドの国旗の歴史

  • インドの国旗の始まり
    ムガール朝
    インドの国旗が現在のデザインに制定されたのは、イギリスから独立した1947年になります。インドの歴史を振りながら国旗の起源について紹介します。
    1857年にセポイの反乱を鎮圧されて、翌年から正式にインドはイギリスの植民地になります。
    もともとは諸地域に小さな王国がたくさんある状態だったのがインドという国で、日本でいう戦国時代のような群雄割拠を経て、
    インドのほぼ全土を統治したのはムガール朝という王国でした。1526年からイギリスに滅ぼされるまでの332年間、ムガール朝は中央アジアからインドまでを支配していました。
    最盛期にはたくさんの建築物を建立していて、インドの観光名所として有名なタージ・マハールやデリー城もムガール朝のものです。
    ムガール朝の旗は、獅子と太陽がデザインされたものでした。
    ムガール朝が滅亡したあと、1921年にイギリスからの独立を目指したガンディーは、「民族自決」運動の象徴として旗を作ることを提案しました。
    その当時の旗は、国産品愛用運動の象徴である、インドの伝統的な糸車を描いたデザインでした。
  • インドの国旗へ
    1947
    1947年に実際に独立して国旗を制定するにあたり、「特定の共同体を象徴するようなデザインは避けるべき」という意見があり、アショーカ・チャクラを中央に配したデザインに決まりました。
    1947年にイギリス領インド帝国が解体するまで、現在のインド・パキスタン・バンジュラデシュは1つの国でした。独立に際して、新しい国家の方針を決める段階で、
    マジョリティのヒンドゥー教徒とマイノリティーのイスラム教徒は対立を深めてしまいます。結果、ヒンドゥーの国とイスラムの国に分離して独立することが決まります。
    分離するラインが決まって約2ヶ月の間に、移動を強いられた人は1,000万人を超え、大混乱が起きます。約100万人がこの時の移動の混乱と虐殺などで亡くなったとされ、
    現在でもインドが抱えているヒンドゥーとイスラムの対立の基になっているのです。
    また、インド国旗の中央に配されているマークは、アショーカ・チャクラと呼ばれています。これは仏教の法(ダルマ)を意味するものであり、釈迦の教えなどを示すものです。
    仏教がインド発祥の宗教であることや、他宗教を容認する多民族国家であることを象徴しています。
  • インド人のインド国旗愛
    現在
    インド人はとにかくインドの国旗がとても大好きです。インドでは、幼稚園から毎日のように国旗掲揚と国歌斉唱を行っているところもあるといわれています。
    国旗好きの国民性はとどまることないようで、インド家族はインテリアとして、インド国旗のオブジェを飾る家庭もあります。
    特に国旗が活躍するのは、1月26日の共和国記念日と8月15日の独立記念日です。
    この祝日が近づくと、街ではいたるところに国旗を模した装飾を見かけるようになります。花壇が国旗の配色になっていたり、ショッピングモールの飾りつけにも国旗が用いられたりします。

国の特色・人種構成

面積328万7469平方キロメートル、人口12億1000万人の大国です。
首都はニューデリーです。
インド=アリーア系民族とドラビダ系民族からなります。
公用語はヒンディ語、準公用語として英語が採用されています。
憲法に記載された言語は22です。

まさに、多様性の国です。
宗教はヒンドゥ、イスラーム、シーク、ジャイナ、仏教など数多くあります。
北インドでは小麦、南インドではコメやサトウキビなど、中央部のデカン高原では綿花の生産が盛んです。

綿工業を中心とした軽工業国でしたが、近年は情報関連産業など先端技術の分野で成長が著しい国です。
新興国とされるBRICSの一角でもあります。

インドの国旗

インド国旗のイラスト(フリー・商用利用可能)

インドのフリー素材
インドのフリー素材2

インド国旗の画像(フリー・商用利用可能)

インドのフリー画像

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